樹氷の御在所岳と湯の山温泉への旅

2014-2-14弁天池の鳥たち

 SOCHIオリンピックがついに始まり雪の上での色々な競技に驚かされます。
年々記録が伸びて人間の能力の限界が更新されていきますね。
それにしても高梨選手のまだあどけない真剣な瞳と健気な姿に感動しました。
まだまだ眠れない日が続きます。
コンパニオンがとても綺麗ですね!
さて14日は大雪に覆われた日本列島、仁川の弁天池もまるで雪国の様になりました。
仁川駅からほんの3分程でこの雪景色です。
 アオサギやカモ達も寒いのか毛をふくらせて水辺に並んでいました。(右上の写真)
2〜30年前は今より気温が低かったのか弁天池にはよく氷が張っていました。
お客様がネットで昔の弁天池の写真を見つけて送って下さいました。
1955年の弁天池風景(ネットより)
緑の多いのどかな風景でマンションもなかったですね。写真の少年達はボートに乗っていますが弁天池には貸ボート屋さんがあり私達もよく長男と乗ったものです。
良く見ると今もその名残があります。
名残ではなく救助用なのかも分かりません。
2013-12月末の風景。
現在池の底の清掃の為か水を抜いていますがいつもよりたくさんの野鳥がいます。
えさが取りやすいからでしょうか?たまに亀の親子を見かけますがどこへ隠れているのでしょう?

さて1月21日〜23日思い出のつまった真冬の御在所岳湯の山温泉へ行きました。
古いアルバムをめくってみると「夢の超特急で湯の山温泉へ」とタイトルに書いています。
1967年2月新幹線が開通して3年目、なぜ湯の山温泉に行ったのかやっと謎が解けました。
湯の山温泉からロープウェイで御在所岳へ、あの日も樹氷の美しい時季でした。
小さかった子供達は雪山初体験に寒さも忘れ笑顔満開!
どうやら山好きの種を植え付けてしまったようです。
Hiroshiと次男浩平(1歳8ヶ月)
私と次男。
長男修平。雪を観察中。
滑れるようになりました!
1959年御在所ロープウエイが設置され、1964年夢の超特急開通と昭和は夢が一杯でしたね。

2014年1月21日10時半タクシーで阪神電車甲子園駅へ。近鉄なんば駅に着くと名古屋行き特急(四日市停車)の列車がまさに出発寸前、駅員さんが切符は列車の中で!と言われたので急いで乗車。列車の中では座席指定券のみ購入出来ました。切符もお弁当もお茶もなく(車内販売がありません)午後2時頃湯の山温泉駅に着き駅員さんに「切符なしでここまで来られたのですか?」と訝れて手にはラガールカードのみ。何だか冒険旅行をしたような若やいだ気分になりました。
さてもう思い出の糸が切れてしまった (御在所山の事ばかり憶えているのです)鄙びた湯の山温泉を眺めホテルのお迎えの親切なドライバーさんの説明を聞きながら谷合の何だか懐かしい昭和レトロな温泉街を通り今夜の宿に到着。静かな雪景色と暖かい温泉に寒さと疲れから解放され身も心も寛ぐのです。 
翌22日快晴。午前10時ホテルの送迎車に便乗してロープウェイ駅へ。
たった12分の乗車で楽々樹氷の世界へ運んでくれます。
山頂へのリフト。気温マイナス6度。これはスキー場のリフトでした!
御在所岳山頂 高さ1212mそう高くはないのですがこの場所は北から琵琶湖の上空を抜けて来る雪雲のせいなのかサラサラのパウダースノーなのです。子供達のスキーレッスンにはお手軽に来れて最高でしょうね。
下界は快晴なのですが山頂は雲の中。晴れなら左側に鈴鹿の山々右側に伊吹山が見えるそうです。
遠くに見えるのは鈴鹿山系の鎌ヶ岳。
温泉街は寂れて閉めてしまった宿も目につきます。
オテルド・マロニエのおいしい夕食。遠くに名古屋市街が望めます。
さて又下界へ戻り温泉街を10分余り歩きホテルへ到着。温泉と美味しい夕飯が待っていました。ほっ!
翌23日帰りの近鉄乗車にはお弁当とお茶を買い本を読んだり居眠りしたりであっと言う間になんばに到着しました。寄る年波には勝てずHiroshiさんの体力も無くなりましたがそれでも45年目に同じ樹氷の雪山と温泉を愉しめ幸せな旅になりました。
《追記Hiroshiの思い出》
1966年の夏頃、若い従業員5〜6人を連れての山行です。
東海道線の愛知川→(バスで)永源寺→(徒歩で)木地→神崎川→白滝谷→天狗滝→川を2〜3回渡り→滋賀県側から御在所山頂へ。川を渡る時食糧を流してしまったりほうほうの体でやっと山頂へ到着したそうです。息子には山行は慎重にと言い続けていますのに若い時は向こう見ずだったのですね!Kyoko