晩秋の津山城址への旅

 どこか遠くに行きたい〜11月19日思い立って晩秋の津山城址への旅に出かけました。
しばらく車での旅はしていませんが宝塚から津山へは高速中国道で2時間余り、休み休みならまだ行けるよ!
と枯葉マーク?の車で正午出発。とても寒い日で四国の松山に雪と言うニュースを聞き少し焦りつつのドライブです。
津山まで後10㎞の標識にほっとします。
午後4時今夜の宿のお城に一番近いので決めた「津山国際ホテル」へ無事到着。
通された部屋の窓から夕日に照らされた津山城の備中櫓が正面に見えます!
来年の4月にこのホテルは閉鎖するとの事ですがお部屋は落ち着いた雰囲気だしお食事も美味しいしとても残念です。
11月20日快晴。ホテルから直ぐの津山城址へ。
在りし日の津山城
江戸時代から明治へ激動の日本は明治6年にお城の取り壊し令によりすべての建物が取り壊されてしまいました。
肌寒い晩秋に冴える楓の紅葉、大銀杏の黄葉を眺め、昔を偲びつつ石段を登ります。
外国旅行でも繁栄の後を歩く旅は心に響いて来ますね。
紅葉真っ盛り
再現された備中櫓を見上げる。桜の木々はもう落葉してしまっています。
広い2の丸への石段。桜の季節は素晴らしいでしょうね。
天守閣跡で昔を偲ぶ「hiroshi さん」
小諸なる古城のほとり〜でもここには古城もありません。
藤村の歌の早春も何だか切ないのですが晴れ渡った晩秋の城址も最後の紅葉の華やかさの中しみじみとします。
昔SPのレコードで聴いた緊張感のある高いお声で朗読された「古城のほとり〜」が突然蘇ってきます。
すっかり忘れていましたが確か山本安英様だったように思います。
片や「Hiroshiさん」は大好きな「氷川清さんの白雲の城」をくちずさんでいます。
まぼろしの 人の世は
流れる雲か 城の跡
苔むすままの 石垣に
栄華の昔 偲べども 
風蕭条と 突くばかり、、、いい歌詞ですね!
それぞれ心に沁みる気分で楓の紅の葉っぱの散る中お城の裏側から降りてホテルへ帰りました。
一休みして車で旧出雲街道へ。
広い観光駐車場に車を置いてすぐ近くの「津山洋学資料館」へ。
入り口近くの図書館のテラス。ステンドグラスの色合いに感動!
この中庭を中心に5角形の建物がジョイントしながら続きます。
津山藩は学問を奨励し優秀な人材が育ったそうです。
5角形の部屋ごとに歴史ある展示物があり江戸から明治へのの自然科学への開眼の歴史、辞書も無かった時代どうしてここまで到達出来たのでしょう!
街道沿いの家の軒先に吊られた缶風鈴。
きらきらと光る風鈴をよく見るとビールやコーラーの空き缶で作っています。
「Hiroshiさん」は「これは畑の鳥や蝶避けになるね」と実用的な事も見逃しません。
姫路と出雲を行き来した街道沿いの商家はどんなに豊かだった事でしょうね。
次は右隣の町家「旧梶村家住宅」へ
中庭
とても懐かしい雰囲気です。奥からお家の方が出て来られそう!
市が買い受けて整備されているとか。不自然な所がなくて良かったです。
次は医者や洋学者を多く輩出した箕作家へ。
玄関の土間。玄関脇の板の間にこたつをして受付をされています。
「いいアイデアであったかそうですね!」と声をかけると「いえいえ津山はこれでもとても寒いですよ!」との返事。この家の構造では暖房は出来ないでしょうね。
洋学資料館へ戻りミュージアムショップでおみやげを買い暖かいおうどんを頂き早めに高速中国道で帰る事にしました。愉しい2日間の旅でした。Kyoko