南紀「勝浦」への旅

紀の松島

寒い2月の空を見上げると電線に鳩の音符が並んでいました。
仁川「オアシス」の駐車場より。
近頃電線が重く絡んで電柱が悲鳴をあげている様に思えるのですが今日は愉しい空想が出来谷内六郎の様な絵が描きたくなりました。

2月1日HasselHouseのとっても若いお客様のM嬢様が我が家にみかん狩りに来てくださいました。
可愛い孫の来訪?に私達は若返って晴れやかな1日を過ごすことが出来ました。
お庭で八朔狩り。小さいアルバム作りましたので取りにいらしてくださいね。
2012年2月収穫した八朔と柚子たち。
今年は不作とはいえ10月からどんなに千切ったことでしょう!葉に隠れて目立たなくなっていましたが未だこんなにありました。

2月14日テレビのニュースで神戸北野の洋館レストラン[グラシアニ]が火災との報道にびっくりしました。
思い出一杯の場所がこういう事になり残念です。
2007年9月28日のブログ日記に既に書きましたが、、、、
グラシアニの門(1990年10月26日)
グラシアニ邸玄関にて。HasselHouseのアルバイトの学生さん達と。
後列に男の子がいますがHasselのお客様仁之君です。とても優しく親思いの大学生でした。私達と打ち解け仲良くなり食事にお誘いしました。
大学卒業後就職され勤務地が東京になりましたが何度かの帰省の時可愛い彼女と結婚することになったと2人でいらして下さいました。
数年後交通事故で亡くなったと人伝てに聞きました。
HasselHouse始めて以来の悲しい事でした。
グラシアニ邸の思い出は華やかなのに辛いのです。
☆☆☆
東日本大震災から早一年が巡って来ました。大災害と原子炉の事故は人間の暮らしがどう進んで行けば良いのか考えるきっかけになりました。
犠牲者のご冥福と一日も早い復興をお祈りします。
3月11日(日曜日)
「海辺の祈りの音楽」で始まる追悼の音楽会があります。
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勝手をして申し訳ありませんが3月11日HasselHouseはお休みさせて頂きます。

南紀勝浦への旅

古いアルバムからポトリと落ちた一枚の絵葉書それは52年前新婚旅行に行った和歌山の勝良荘の懐かしい絵葉書でした。水彩画で描かれた絵は伸びやかで美しいので私の机に飾って眺めていましたが、おりしも昨年の雨台風で大きな被害に遭った和歌山を観光旅行で元気にしょう!と言うキャンペーンのダイレクトメールが届きました。「ホテル浦島」?同じ場所の様だからきっと名前が変わったのね!と思いつつ旅行を申込みました。
1959年7月☆白浜〜潮岬〜勝浦へ水上飛行機での旅
 
堺港の水上飛行機(客席4人乗り)    日東航空の名前が見えます。
Hiroshiさんによれば産経新聞社が水上飛行機を1機購入して新規事業を始めたので面白そうなので梅田の産経新聞社にチケット購入を申し込んだとの事。数年で打ち切られたそうですので貴重な経験と写真かも分かりませんね。
この日天候が不安定で到着予定の田辺湾に30分も遅れ「すわ!事故?」と、とても心配したとの事でしたが私達は珍しい小型飛行機行を愉しんだのです。若いという事はすごいですね。今ではとても用心深い?Hiroshiさんがこんな旅行を計画するとは!
水上飛行機にて。勝良荘の岩場にて。沖の島は昔平維盛が入水したと伝えられる山成島。
玄武洞にて。

2月7〜9日南紀勝浦へふたたび
2月7日JRでローカルな風景を眺めつつ勝浦駅到着。昭和に帰った様な商店街を抜け勝浦港へ。案内のホテルへの渡し船も記憶のどこかにあるやっぱり昭和の香り、上船してホテルへ。終戦後の接待旅行華やかなりしころどんどん建て増ししたのか途方もなく巨大になったホテルに歴史を感じつつ長い長いエスカレーターを乗り継いで今夜の宿は山上館。ここなら津波が来ても大丈夫等すぐ思ってしまう癖がついたのは悲しい。
通されたのは太平洋に面した洋室。リニューアルしたのかしら?
正面に小さな島(山成島)持参の写真のコピーと見比べると岩場のHiroshiさんの背景と同じです。これでずいぶん変わったけれども此処に間違いありません。一休みして古い絵葉書を持参してフロントへ。少し年配の責任者らしい女の方にお話しして絵葉書をお見せすると、「勝良荘」はホテル浦島が買い上げて統合したこと、現在では日昇館として営業していること、私達が入った洞窟温泉は望帰洞ではなくて玄武洞だったことなど親切に教えて下さり記念に現在の絵葉書セットを下さいました。でも又50年後は無理だね〜と話しつつ50年の歳月元気で過ごしてこれた事に感謝するのです。
ホテルの方の案内に従って日昇館探訪に出かけました。勝浦港側から太平洋側まで長いトンネルを掘ったものです。館内を歩くのも結構運動になる位です。
やっと高い波の砕ける音がして太平洋側に出て「ああ!昔通った太鼓型の橋の一部ね!ここに間違いないね!」と昔の記憶を辿ります。
翌日8日何と言う幸運でしょう!空も海も真っ青の快晴です。暖かい陽の光に真冬とも思えません。
小さな観光船で紀の松島巡りに行くことにしました。ホテル浦島へも立ち寄ってくれます。
鯨で有名な太地町への観光も途中下船出来てとても便利です。
山成島も身近に見えてきました。
狭い島との間を抜け群青の波が迫って来ます。ここらあたりの岩場には「望帰洞」の様な洞穴が幾つもあり中に温泉が湧いている所もたくさん有るとの事です。
40分程の島めぐりを楽しみ「くじらの浜公園」で下船「くじらの博物館」へ。
 生簀には小型の鯨やイルカが気持ち良さそうに泳いでいます。
小鯵のエサにまるで笑っているような親しげな顔で寄って来ます。
 
童心に帰ってイルカショーも楽しみました。
結構重そうなのにどうやって水面から飛び上がったり水面を歩いたり出来るのでしょう!
太地の鯨の捕獲の歴史、巨大な鯨の骨も展示されていて結構愉しみ、近くのトンネルを潜り国民宿舎「白鯨」まで足を延ばしランチを頂いた後くじら浜の「石垣記念館」へ。
くじら浜から徒歩5分程にある所にひっそりと佇む石垣記念館。
太地町から中学生の時アメリカへ移民後アメリカ画壇で活躍されたという石垣栄太郎の絵は力強く引き付けられます。
社会運動家石垣綾子が夫栄太郎の画業を後世に伝えようと私財で建設された美術館です。
太地町に来てこんな感動まで貰うとは!心に残る旅になりました。
帰りのJRの3時間半記念館で買った石垣綾子の本、この美術館建設に夢をかけていられた86歳当時(1990年)の「生きることは挑戦することである」を読みつつ帰途についたのです。Kyoko