新緑の広島への旅

平和公園祈り

テレビのニュースばかり固まって見ていて1ヶ月半が過ぎ、寒い寒い日々からあの弘前のさくらも満開になりました。
自然は何事もなかった様に季節は巡って来るのですね。さくらの花には特別の感慨がありますね。

 数年前安達太良山へ「智恵子」の本当の青い空が見たくて旅をしましたが、目に見えない放射能汚染は怖ろしく悲しいです。
花と新緑のふるさとから逃げないといけない等誰が想像したでしょう!
1日も早く原子炉安全停止の宣言を聞きたいものです。日本の美しい野山と海を大切にして次の世代へ残さなくてはなりませんね。
おろかにもやっと便利な暮らしがどうやって成り立っているのか知りました。
NHKでお話しされていた作家の高村薫様のご意見ただ普通の主婦の私の言いたかったことを要約されていて感動いたしました。
これからは生活は少々後戻りしても安全第一に暮らしたいものです。
 阪神間のこの地でもとんでもない大地震が来ました。
今後予想される地震の確率の高さには愕然とします。
高層ビルの乱立や余裕のない空間にもしもの時を思うと心穏やかでありません。
大阪駅も商業施設ばかり増えて、もしも何かの時安心な緑に囲まれた広場(公園)が欲しいですね。
 
広島への旅 
 さて先週思い立って「広島」へ1泊旅行に行きました。
10数年前次男が広島へ転勤、まだ独身だったのでお掃除と言う名目で通ったのですが広島の魅力に取りつかれてしまった思い出の地です。新緑の広島散策は、心が癒され平和で愉しい旅になりました。
新神戸から1時間余り早広島駅に到着。タクシーで10分程の比治山の現代美術館へ。
まず玄関前の庭園へ。そこかしこに配置されたモダンアートは相変わらず静かに新緑の大木に囲まれ息を潜めたように佇んでいます。

←ヘンリームーアの「アーチ」を通して緑豊かな広島市街が見渡せます。
ここが65年前原爆で焦土と化し100年は木も育たないといわれた街とは思えません。
 

玄関横のフェルナンド・ポテロの「Little Bird」はまるまると太ってユーモラス。小学生低学年だった孫を連れてきた時はこのおでぶちゃんの鳥がとても気に入り駆け寄りました。その後ポテロの画集を絵本代わりに買いました。子供の感性は素晴らしい!
正面や後姿も面白いです。目が点で愛嬌があります。芸術作品をこんな鑑賞の仕方で申し訳ありません。
 当時数々の特別展を未消化ながら楽しんだ現代美術ですが今日は展示物の入れ替え中で残念!「コレクション展」のみ観て坂道を下り平和大通りへ。
緑の並木道を平和公園へと歩きます。

平和公園の正面のリストランテ「マリオ」へ。
まだ昔と変わらずありました!食いしん坊の私にとってこのイタリアンレストランが広島行きを決定したのかも分かりませんね。
お店のスタッフがとても親切。「宝塚から久しぶりで来ました」と言えば表まで出て写真を撮って下さいました。
午後は次男が下宿していた国泰寺町あたりを散策、すぐ近くの国泰寺高校や中学校から漏れ聞こえる音楽や体育の掛け声が懐かしく
ほろ苦く当時の少し若い私に帰ってゆきました。
ゆるゆる歩いて平和公園の「平和都市記念碑」で原爆の犠牲者にお祈りします。
ここへ来ると敬虔な気持ちになり自然と手を合わせて祈りますね。
中央の火を通して原爆ドームが遠くに見えます。外国人、修学旅行の生徒たち、ツアー旅行の団体さんで賑わっていました。
原子のエネルギーを平和利用しようとした私たちに今回のような事故が起きた事はとても残念です。

太田川を渡り大通り商店街の雑踏を抜け、紙屋町の交差点近くの今夜の宿「リーガロイヤルホテル」へむかいます。
街の中心地にあり正面にお城が望めます。(JR+ホテル)プランならとてもお得でした。
良く歩き少々疲れ気味なのでルームサービスの豪華な?「広島お好み焼き」でゆっくりと寛ぐことにしました。
24階の窓から広島市街が平和に静かに夕暮れて行くのを眺めていますと、東日本もきっと復興すると思えてきました。
2日目。ホテルの前はひろしま美術館です。印象派の絵等の馴染みやすい絵のコレクションですが今回は残念ながらパス。
まず広島城
広島城外堀
結婚式に出逢いました。
原爆投下でも生き残った「マルハヤナギ」
Hiroshiさんは当時あこがれていた陸軍幼年学校に受かり広島城内にあった学校へ入学し原爆の犠牲になってしまった友を悼み城内の資料館を熱心に見て回りました。このお城の中で1万人もの兵隊さんが亡くなられたとの事でした。
広い並木道。
縮景園庭園
亀たちが甲羅干し
県立美術館から縮景園へ。
懐かしい広島。まだまだお気に入りの場所がありますが又の楽しみに帰路につきました。

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