アイルランドへの旅再び(前編)

アイルランド・モハーの断崖

 長い間お休みして申し訳ありませんでした。
25日久し振りのHassel Houseでしたが忘れず訪ねて下さったお客様、その上お庭の薔薇や紫陽花のおみやげ迄頂きありがとうございました。
よく見ると切りたての紫陽花の蕾に糸の様なカマキリがいてお客様共々びっくり。
小さくても触ろうとすると威嚇してきますので「カマキリ付でかざっておきます 」とそのままにしていましたら気がつけばいないのです。
何処かへ逃げたのでしょうか?庭にはなしてあげようと思っていたのですが、、
お休みさせて頂いた10日から21日の間アイルランド旅行に行きましたので簡単な旅日記を書いてみます。

アイルランドへの旅》
 1988年3月大学を卒業した次男浩平は就職までの貴重な自由時間に旅をしたいとアイルランド一人旅に出掛けました。何だか寒そうで危険そうな国位の認識しか無かった私たちはそれでも「あの大西洋側のモハーの崖から落ちないよう」など注意をしつつ見送りました。
ロンドンから鉄道とフェリーでアイルランドへ。ダブリンから西海岸のゴールウェイ等廻り帰路イギリスでは研究課題だったホルストの故郷なども訪ね元気で帰って来た彼の旅の写真を興味深く見ると写っているのは石と遺跡と惚けた牛ばかり。おみやげは音楽テープと笛と本でした。
 
モハー近く              B&Bで貸してもらった自転車で
 
モハーの断崖で            伝統音楽の町エニス
 
Lisdoonvarnaで           ゴールウエイ('88.3浩平旅のアルバムより)
写真で見るとやはり暗くて冷たそうに感じましたが町のはずれのレストランでは「一人旅ならこちらにおいでよ」と誘って下さったり、海辺の街で食べた鰈のから揚げは塩とレモンが添えてあるだけ我が家と同じ味、でも鰈はお皿からはみ出す程の大きさだったとか!
おみやげのアイルランド料理の本

料理の本には1800年代のアイルランドの情景が各ページ毎に。

[Voices From Ancient IRELAND]神秘的な風景写真と詩の本。

おみやげの本や写真を見ているうち是非行ってみたいと思う様になりました。

その後10年、1988年6月私たち夫婦はやっとアイルランドへ行くことが出来ました。それは想像していたより心に響く旅になりました。その時の感動が絵になってHasselの壁を占めてしまいました。それから又12年の歳月が過ぎ私たちも歳を重ね外国旅行は無理になるかも知れないから是非もう一度アイルランドの地を訪れたいとの思いでツアーでの旅行を決めたのです。   
アイルランドへの旅再び》  
 前回は北アイルランド(英国領)は紛争中でしたのでダブリンから西海岸を重点的に回りましたが今回はほぼ1周することが出来ました。
「Man of Aran」「静かなる男」「ライアンの娘」最近では「麦の穂を揺らす風」「ダブリンの街角で」等映画やテレビで放映したり「リバーダンス」や音楽、司馬遼太郎街道をゆく」等から興味を持つ方も多いのか今回ご一緒しました方々18名、皆様それぞれのアイルランドへの思い入れがあり教えられる事も多く有意義で愉しい旅行が出来ました。

 
イギリスの西側、北海道程の面積に人口約450万人。アイルランド共和国と英領の北アイルランドに分かれます。

【緑あふれるケルトの大地アイルランドへ】前編
2010年6月10日(1日目)
(午前10時関西空港発→アムステルダム経由アイルランドの首都ダブリンへ。)
  
アムステルダムからはエア・リンガスにて1時間半。  ホテル前赤レンガの街ダブリン
 日本から15時間半(乗り継ぎ時間2時間)やっと現地時間夕方6時(時差8時間)とは思えない青空の広がる明るいダブリン飛行場に着きました。新しい建物が増えて全く様変わり、中央のドーム屋根にやっと12年前の記憶が蘇ってきます。
バスは平地の長いトンネルを抜け見覚えのある川向こうのダブリンの街へ。
「平地に何故トンネルが?以前は無かったよね。」とか街の空間に建つ近代建築に12年の月日を感じ複雑な気持ちです。市街地に入ると「ああやっぱり!ダブリン!」夕刻のダブリンは勤め帰りの人達であふれ、そろそろバブも活気づいて来ています。

トリニティカレッジの近くの教会を改造した古いホテルThe Davenport Hotelでほっと一息「はるばる来たね〜アイルランドに!」
6月11日(2日目)
〈ダブリン〜初期キリスト教会跡グレンダロッホ〜中世の雰囲気を残すキルケニーの町〜アイルランド第2の都市コークへ。〉典型的なアイルランド日和。曇り後雨後晴れ、天気予報はこれなら誰でも当たりです!気温15度長袖Tシャツに薄いジャケット位の快適さ。ダブリン郊外を出るとすぐ緑、緑の田舎の風景、牧場のやや荒れた所は野生のエニシダの黄色、こんもりと繋がる潅木のピンクは石楠花、6月のアイルランドは春と夏をいっぺんに迎へ牧草にも白や黄色の小花が群生しています。白く塗られた農家の庭隅には可憐なホクシャの赤。やがてなだらかな山の風景に変わります。ダブリンから南へは初めての道、山はだは磨いた様な鼠色の石で覆われ石の割れ目や境目に緑の植物が生えています。アイルランドの風景を描いていると石ばかりになってしまったのですがやっぱり此処も!と感無量。
 
ダブリン郊外の観光スポット(バスで約1時間)グレンダーロッホはU字谷の美しい氷河湖近く、6世紀に造られた初期教会跡と現在も使われていると思われるハイクロスが林立してケルトの国アイルランドらしい雰囲気の中、野生の石楠花が花盛りでした。

お昼には中世の雰囲気を残すキルケニーに。町の中心にあるキルケニー城は広い芝生の市民の憩いの場所。キルケニーの町の女学生達。みんな伸びやかです。
 
ミニバスのアイスクリーム屋さん。どこもぴかぴか!清潔です!
 
アイスクリームを買いに来た坊やとお父さん。石造りの古い町並みに鮮やかな色が新鮮。
夕方アイルランド2番目の都市コークへ。人口14万人のコークはLee川を挟んだ丘の街、ホテルの6階からは緑溢れる両側の住宅が見渡せました。旅人から見ると何処も豊かで時間がゆっくり流れているように感じられます。

Lee川沿いのカラフルな家並。


Lee川沿いのホテルはガラス張りのモダンアイリッシュ!モダンなアパートと聖フインバー大聖堂の尖塔が調和して見えます。
6月12日(3日目)
(コーク〜イベリア半島周遊路「リング・オブ・ケリー」170キロメートル周遊〜キラーニーへ)
爽やかな空気と緑で旅も快調、いよいよ今日から前回訪れた南西部、美しいリング・オブ・ケリー一周のドライブ、若い人たちに人気なのはツーリングです。


向こうはディングル半島、遠くに見える海岸線は白い砂浜が続いて、ここがインチの浜辺。

乗馬の盛んなアイルランドでここは渚を行く外乗で人気の場所です。
好みの衣装で外乗を楽しむ姿は絵になります。

昼食はウオータビル村・かってチャップリンが魚釣りによく訪れた所とか。
チャップリンさんこんにちわ」いつもふざけるHiroshiです。

美しい入り江には多くのキャンピングカー。

キラーニ国立公園の「貴婦人の眺め」
どの観光地でも心地よいアイルランドの音楽が流れて〜バンジョーを弾く青年。
バスは「リング・オブ・ケリー」とキラーニ国立公園を1周して街道沿いにキラーニー
の町へ。街への入り口近く前回泊まった「マックロスパークホテル」の前を通過、こうして又見ることが出来感激してしまいました。


’98年宿泊した部屋のスケッチ
前回宿泊したマックロスパークホテルは街道沿いのマックロス家のために使っていた館を改造した古いホテルでした。このホテルで丁度結婚式のパーティがあり子供達の踊るアイリッシュダンスを見せて頂いたのです。

’98年。キラーニーの街から馬車でホテルまで帰りました。30分程の道程でした。

1850年ごろ奥様の為に建てたマックロスハウス。静寂な森に囲まれた湖の畔にあります。内部は当時のままにしていて特に感動したのは子供部屋。キルトや刺繍で愛情溢れるかわいい部屋でした。今回の旅行ではここは立ち寄りませんでした。

庭園の湖'98のスケッチより
今回は便利な街の中のホテルでしたがやはり古い館を改造しています。

ホテルの部屋の可愛い花模様の壁にほっと暖かさを感じます。
洗面所や浴室の設備も手入れも申し分無いのですが、シャワーは天井に固定式です。子供の洗髪等どう使うのでしょう?
何処でも暖かいもてなしの心と笑顔。素朴な山盛りのお料理。めまぐるしく変わる空模様。緑や青の鮮やかさ。
どこにも残る崩れかかった石積の廃墟と古城。アイルランドの風景に心を捉われていきます。
6月13日(4日目)
(キラーニー〜アイルランドで最も可愛い町アデア〜大西洋の断崖モハー〜石の大地バレン高原〜ゴールウエイ)
避暑地の様なおしゃれで豊かな町キラーニにさようならして旅はいよいよ特徴ある石だらけの風景の西部へと進みます。アデアの町に近づく頃低く灰色に広がっていた空からついに大粒の雨が落ちて来ました。
 
わら屋根の典型的なアイルランド民家。   お店屋さんもあります。
メインの通りは1列だけ。こじんまりした可愛い町です。
変わらない素敵な町がいつまでも保てますように。
お昼前バスは一路モハーの断崖へと走ります。垂れ下がっていた雲がいつの間にか青空に。何と幸運でしょう!

200mの高さの断崖が8km続いているモハーの断崖と野の花。

'98年には中央の岩盤からモハーの断崖を眺めましたが今は石の塀と遊歩道が出来もう岩盤には行けません。とても風が強く立って居られない位です。

空の青さに反映して大西洋も真っ青です。

笛の音は強い風に千切られて舞い上がっていきます。
「庭の千草」等アイルランドの音楽は何故か日本人の私が郷愁を感じるのです。

モハーを後に石の大地バレン高原へ。アイルランドの第一公用語ケルトの伝統を無くしない様にゲール語が使われています。道路の標識はゲール語と英語です。

石の遺跡「巨人のテーブル」前回は何も無い平原で巨人のテーブルを見ましたが近くまで遊歩道が出来ていました。

風が強いのか木は片方に傾いています。前回この近くでロバを引いたおじいさんと少年が来てリコーダーを奏でてくれました。日本の我が家の近くの子供達は勉強、勉強と塾に追われていますのに、厳しい自然の中で元気に暮らす少年の姿に私達の子供時代を思い出し「バレン高原の少年」を描いたのです。
石灰岩の間の可憐な草花、岩盤の続く高原に放牧されている牛や羊にさようならをしてアイルランド西部の中心都市ゴールウエイへ向かったのです。
’98年の旅行ではキラーニーとゴールウエイの間、シャノン川河口の昔ヴァイキングによって作られた都市リムリックに2連泊しました。

とうとうと流れるシャノン川と街並み。
写真の左岸にジョン王の城等歴史ある建物があります。
 
1400年代に建てられたバンラッティ城では中世の晩餐会を再現して観光客を楽しませてくれます。おいしいお料理とアイルランドの音楽の夕べにみんな満足でした。

19世紀の生活そのままのバンラッティ・フォークパーク
村の案内の人も19世紀の衣装で。
(’98年旅のアルバムより。)
コーヒーショップに入ると一休み中のお巡りさんに逢いました。思わず握手!
何と先祖の何処かで繋がっている親類?まるで兄弟の様なお巡りさんでした!
 
ゴールウエイに着いてまだ夕飯まで時間がありましたので街の中心地のケネディ公園まで散歩に行きました。

1963年にケネディー大統領が訪れたのを記念して造られたケネディー公園
12年の間にすっかり様変わり、帆船のモニュメントはそのままありました。
 整備された周辺にはビルが目立ちます。

’98帆船を模したモニュメント横にはケネディーさんのお父様の銅像がありました。

’98公園の角のバブに入りギネスを注文した思い出の建物はもう見当たりません。 
ゴールウエイはコリブ川沿いの人口6万人のこじんまりした都市。
小さいながらもゴールウエイ大学や歴史的建物もあり人気のアラン諸島やコマネラ地方への観光への拠点として活気に溢れた町です。 
街を流れるコリブ川で漁をする人。
もっと海に近い河口ではたくさんの白鳥がいます。

楽器屋さんのショーウインドウで見かけたアイリッシュハープは350ユーロ!買いたいですね!

面白いディスプレイーにカメラを向けると聖ニコラス教会が映りこんでいました。
消費税20%で衣料もそう安いとは思われませんが、街を歩く若い人達はセンス良くシンプルな装いで美しく見えます。
6月14日(5日目)
さていよいよ今日はケルトの色濃いアラン島観光です。
(ゴールウェイ・ロッサヴィール港〜アラン諸島のイニシュモア島〜ゴールウェイ)
ホテルから約1時間アラン諸島への玄関口ロッサヴィール港到着。
もう世界各地からの観光客で賑わっています。
以前より一回り大きくなったフェリーで45分イニシュモア島は以外に近いのです。
大きな船の無かった冬場風の強い海を渡るのは大変だったそうです。
ドキュメンタリー「Man of Aran」より
海草を乾かして土をつくる。「Man of Aran」より。
12年前イニシュモア島に着いた時の驚愕は静脈の様に張り巡らせた石垣でした。
これを誰かが1個づつ積み上げたと思うと今観光で暢気に訪れている私達の頭をガーンと殴られた様でした。その後TVや映画でアラン島の歴史や風土をもっと知りました。
又再び来ることが出来ようとは思ってもいませんでした。
鴎の飛び交う懐かしのイニシュモア・キルロサン港へ到着です。

キルロサン港。随分カラフルになりました。

’98キルロサン港。よく見ると建物が一致します。

船着場と客待ちの馬車。

アラン模様のセーター屋さん。J.M.シングの戯曲「海に騎りゆく人々」から海で遭難した人の身元が分かるよう独自の手編み模様のセーターを編んだと言うアラン模様ですがそんないわれも知らず手編みの好きな私は縄編みを交差したり小さい立体の玉を付けたりしてセーターを編みました。アラン模様、一時はやりましたね。
今は時代と共に分厚いセーターは着る人も少なくなりお店も一寸寂しい雰囲気です。
でも本当の手編みの物は高いけれど魅力がありますね。
それに引き換えお隣の貸し自転車屋さんは大はやりです。
人口900人程の小さい島は訪れる観光客の方が多いとは言え静かな佇まい、おみやげを買おうと思ってもあまりありません。

海沿いの道。新しい家が建ちました。

変わらない村の入り口のレストラン

可愛い民家。自分で塗装するのでしょう!とても味があります。

村を歩くと直ぐ石垣の家の風景になります。


アランセーター屋さんから海沿いの道を歩いて10分ほどのAran Islands Hotelのレストランで昼食です。

昼食の前菜「シーフードカクテル」さっと茹でた海老や貝。あっさりしてとてもおいしい。

待望のロブスターは大きさにびっくりしましたが、ペロリ!でした。
一寸日本の伊勢海老等とは味が違います。身がもっちりしていました。
さあ!お腹が一杯になった所で頑張って謎の遺跡「ドン・エンガス」迄坂道を30分位歩かなければいけません。

整備されたとは言えごつごつ岩の道は身に堪えます。
こんな所で躓いては大変!慎重に一歩一歩!

古代遺跡約2000年前の砦「ドン・エンガス」は一体何のために造ったのでしょう?
向かって左は100m程の絶壁です。


人間て不思議ですね。怖いのに多くの人が覘いてみます。

島の片側は断崖が続いています。遠くこんな岩盤の上に民家があります。


’98年旅行から帰って想像で描いたスケッチ「アイリッシュダンス
その後TV放送でリバーダンス発祥の地と知りました。
英国の支配下時代ダンスを禁じられていたので手は使わずタップだけ踏んで踊ったのが始まりとか。

ドン・エンガスから徒歩で下りた所にあるお土産屋さんは少し変わりましたがありました!

’98年のスケッチより。ここではオリジナルの銀細工のケルト模様のアクセサリーが買えました。繊細なイヤリングやブローチを買った思い出のお店です。
芸術家風のお兄さんはもう居られませんでした。

島の北東側には砂浜に波が打ち寄せていました。

村の人が造ったのでしょうか?妖精の家がありました。何だか本当に妖精が住んで居る様に思えてきます。
ひっそりした石垣の道
石垣に囲まれた畑

「イニシュモアの道」自転車のハンドルに架けているのはアイリッシュダンス用の靴かしら?
鯨の皮や布で張った漁用の小船「カラハ」を運ぶ。(案内のパンフレットより)

☆イニシュモア詳細図☆西南は高い崖が続いています。
2回目のイニシュモアへの旅、最初の印象をより鮮明に確信出来た様に思えます。
3度目来たいと思いつつ心に焼き付けてフェリーに乗りました。

イニシュモアの延長の様な風土のゴールウェイ・ロッサヴィール港。

☆’98年ゴールウェイで訪れたホテルです。☆

Dromoland Castle Hotel
アイリッシュハープ演奏を聴きました。

Glenlo Abbey Hotel

名前の通り僧院を改装した名残りのステンドグラス
ゴールウェイへの旅をされるなら是非いらして下さいね。
6月15日
いよいよ今回の旅のハイライト!美しい湖水風景のコネマラから「静かなる男」の撮影されたコングへ向かいます。今夜の宿は期待のアッシュフォード・キャスルホテルです。
(ゴールウェイ〜コネマラ国立公園〜カイルモア修道院〜コング地方・Ashford Castle Hotel)

1時間もバスで走ると風景は一変し広々とした湖に鏡の様に岩山を映したコネマラ地方へ。観光シーズンなのにすれ違う車も余りなく静寂の中、神秘的な湖面に見入ります。

ターフ(ピート)を堀り乾かしている所。太古の植物が地中に堆積して出来た泥炭層でこれを掘り起こし乾燥して冬暖炉等の燃料にするとか。

泥炭層の道路の注意標識。地層が軟らかい。

カイルモア修道院近くの丘の上のレストランで昼食。

アイルランドで初めてのバイキングの昼食。
手作りの家庭料理風。
これにシーフードスープ、後はデザートバイキングこれで十分です。
どこでも紅茶がたっぷりあっておいしい。

ツアーの方達とも和気藹々。
家族経営の様な温かみのあるプチホテル「Kylemore Pass Hotel」のレストランでした。

バスを降り美しい湖の畔、石楠花のピンクが水面に映える道を10分ばかり歩き迂回すると目の前にお伽の国のお城の様なカイルモア修道院が建っています。

19世紀イギリスの富豪ミッシェル・ヘンリーが奥様の為に建てたお城だそうですが、
いまは修道院に買い取られ人気の観光施設として1部開放しながら修道院としても使われています。このあたりのお城は石をブロック状に切り積み重ねて造られています。
それにしても奥様は窓から湖を眺めて静かに暮らしたのでしょうか?

内部は当時使われていたままに保存されています。

弾かれていたピアノ。19世紀の生活は以外に身近に感じられます。

使い込まれた椅子。

2階への階段。上は修道院の宿舎だそうです。

広大な庭園へはミニバスがあります。
コネマラポニーと話するHiroshi

手入れされた庭園
さてのろのろ運転の旅も半ばとなりました。
余り長くなるので後編は8月13日から改めて書くことに致しました。コング地方からの後編も宜しく。