ヒマラヤ・ネパールへの旅

マチャプチャレを望む

 11月18日10時発カトマンズ行きのキャセイパシフィック航空の飛行機に乗った私達夫婦はほっと一息ついていました。
今年結婚50周年を迎えた私達「記念に本物のヒマラヤを見る旅に行きましょう!」と旅行社のツアーに申し込んだのです。
Hassel Houseの二階に置いているヒマラヤの山々の写真集。それは新婚間もない次男の嫁が撮って来たものです。「独身時代からヒマラヤは是非行きたいと思っていた。今行かなかったらきっと一生後悔する事になるから。」とカラパタール(5,545m)へ登る山岳ツアー20日間の山旅にNorikouちゃんは出かけてしまったのです。息子は「僕も行きたいけれど会社があるから仕方ない。」と澄ました顔でご飯を食べに来ていました。
重いカメラを持ち高山を根性で歩いて撮った写真、夕日に映え真っ赤なエベレスト山等現実とは思えない光景は私達の脳裏に焼きついていたのでしょう。

3冊のヒマラヤ写真集

出発日も近づき、だんだん期待が高まって来ていました。
ところが11月12日テレビと新聞にカトマンズで大規模なデモのニュース。反政府の抗議行動で道は封鎖され政情不安が続いているとの報道にガックリしていたのです。その後添乗員から「観光は滞りなくいっているので予定通り出発します。」と電話を頂き危惧しながらの参加となったのです。
香港でドラゴン航空に乗り継ぎダッカ経由カトマンズへ。バングラデッシュのダッカ?と思わず聞いてしまいました。

雲海に沈み行く太陽・・こんな光景が見られる様になったのですね。

深夜のカトマンズ・トリヴァン国際空港着。香港での乗り継ぎ時間3時間、ダッカでの1時間を入れて14時間掛かりました。

停電が多いので懐中電灯は忘れずにと言われていたのですが街もホテルも暖かく灯が煌いていました。深夜のホテルは床磨き中でした。
カトマンズでの第1夜が明け早速今度の旅のハイライト、ヒマラヤ遊覧飛行に出発です。
100万都市の朝は一杯乗客をのせた乗り合いバス、警笛を鳴らす車、その間を縫って追い越していく2人や3人乗りの単車、道端にも人々が溢れています。その中を行く観光バスの運転手さんは超絶技巧でたくみにかわしながら運転して行きます。
思わず体に力が入ります。

小型飛行機に乗客15人ほど、飛行場を飛び立つと直ぐヒマラヤの峰々が見えて来ます。エベレスト山(8,848m)が近づくと親切に一人一人操縦席に入れて教えてくれます。

あれがエベレスト!右がロッツェ(8,501m)左がヌプツェ(7,906m)
Norikouちゃんがエベレストの前山カラパタールから撮って来た山々です。

何処までも続くヒマラヤの峰々。ヒマラヤの北は中国チベット自治区

カメラ等通さず、この感動の光景を見て来ると良かったとは思うのですが。

頂いたフライト案内・約1時間の遊覧飛行でした。
午後カトマンズ世界遺産のバクタブル→ナガルコット

いたる所道路工事中の土ぼこりのカトマンズ市街を抜けて東へ12km30分程で世界遺産の古都バクタプルへ。どこも赤レンガの建物と道路、16世紀頃栄えた王朝時代の遺産です。映画「リトル・ブッダ」が撮影された街です。
さすがブッタ生誕の地ネパールは信仰と共に日常生活が営まれているようです。

カトマンズ盆地一高いニャタポタ寺院の前を行くサリー姿の女性。
世界の屋根ヒマラヤに抱かれた北海道の2倍足らずの南アジアの小国
北はチベット自治区と南はインドに挟まれたネパールはインド系、サリー姿の人が多い。

見学に来ていた少年達と。
デジカメに興味しんしん。
制服姿の少年少女が可愛い。

門前の露天商。バスから眺めると日本の昭和の初め以前にタイムスリップした様。
丁度稲の収穫中でしたが全部手作業でした。
11月は乾季で温度は5℃〜15℃位、農作物も豊富です。
バクタプルを後にバスはガタガタ揺れながらやがて山道へ、山桜とポインセチアの木に赤い花が咲く長閑な道、見渡せば山の斜面にはだんだん畑と素朴な民家が点在しています。時々籠を背負った耕作帰りの村人達とすれ違いながら標高2100mのナガルコットの丘へ向かいます。

1時間半程で着いたホテルの門とポインセチアの木。もう夕方です。

ヒマラヤは2000m級の前山に遮られてカトマンズ盆地からは良く見えません。
2100mの丘に立ってはじめて眺められます。
丁度夕陽に映えるヒマラヤの山々 中央フルビ・チャツ(6,722m)
ナガルコットの丘から200kmにわたるヒマラヤが展望出来ます。
感動のひと時です。

山の夕暮れはあっという間に闇に包まれて行きます。

クラブ・ヒマラヤのレストラン     夕食はネパール料理のバイキングです。
さらさらしたお米と色々な煮込み料理とスープ。
食べやすいソフトな味です。ミルクティーのチャイもさすがにおいしい。

何処へ行っても経文を書いた旗が翻っています。ホテルの中庭で。

木と漆喰のホテルの廊下の飾りつけもとっても素朴で美しい。


ネパールの民族音楽のおすすめCDを選んで下さった売店のお兄さんと。

ナガルコット→古都パタン→カトマンズ国内線→ポカラ
旅も早3日目、圧巻のヒマラヤ展望と素敵なホテルとお別れして又カトマンズ近くへ帰り世界遺産のもう一つの古都パタンへ。

カトマンドズ近くなると車・単車・人、人、人。
建物もお金が出来たら上へ建て増しするそうで鉄筋だけ屋根から突き出ています。
一寸怖そう。地震もあると聞きましたが。

パタンは美術の町、ゴールデンテンプルへの門前の細い道々には代々受け継がれた職人さん達の店があります。

細かい細工の見事なゴールデンテンプルは修復中でした。
新築の時はどんなに隆盛だった事でしょう。

ここは有料なので胸にシールのチケットを貼ってダルバール広場へ。

お寺の前では女の子のお祝いの行事中でした。
赤は縁起の良い色とされているので赤の行列です。
女の子は一生に三回お寺参りの行事があるそうです。

それぞれが個性的な衣装です。

コーヒーショップもありました!

午後、国内機でカトマンズから西へ200kmの人気の観光地ポカラへ。

ポカラへの30分の飛行中は右手にヒマラヤの展望、まずヒマールチュリ(7893m)
この写真の左にはマナスルの三角の山頂が見えます。
続いてラムジュンヒマール、アンナブルナ山群へと連なり、
天上の感嘆の中早ポカラ到着です。

ブーゲンビリアの花咲く温暖な標高800mのポカラ空港。
とても新しくて綺麗です。セキリティチェックは人の目、
トランクを開けてチェックします。

ポカラグランテホテルのフロントの絵が「ナマステ」と出迎えてくれます。
翌朝は頑張って午前4時に起きサランコットの丘(標高1600m)へ出発です。

サランコットの丘より。
陽は昇って来ましたが雲が多くてヒマラヤの山々が見えません。

雲の切れ目からアンナブルナが見えてきました。

どこの国の人々も一緒に大感動!

マッターホルンに似たマチャプチャレ(6,993m)もついに顔をだしてきました。
朝の光は山をピンク色に染め夕陽は燃える様な赤、神々しい光景に心打たれます。

ほっとチャイで一息の売店の人。
朝早くから手織りの布や装飾品のお店が開いています。

サランコットの丘の農家。
どこへ行っても段々畑、庭では鶏や、牛、子羊は坂を登って遊んでいます。

午後はポカラの観光とネパールで2番目に大きいフェワ湖へ。

クルージングと思っていましたらボートクルーズでした。
救命具も着けずボートが半分沈む程子供達を乗せています。
でも乗ってみると船頭さんがのんびり漕いで静かでゆったりと水上から風景が楽しめました。ここには日本の観光地によくあるスワン型の船もありません。木のボートの軋む音と船べりを打つ水音だけ。ゆらりゆらり

フェワ湖より見るサランコットの丘。「ケーブルカーがあれば楽に行けますね。」と
つい言ってしまって大失敗!ガイドさんに「行く道々のお土産やさんが失業しますよ」ほんと!そうでした。
本当はここから見るとサランコットの丘の向こうにヒマラヤが聳えて見えます。
今日は少し霞んで良く見えません。丁度中央右よりの白い雲の様なのがヒマラヤです。
いよいよ旅の最終日
ポカラ→カトマンズ→深夜の飛行機で日本へ帰ります。

目を覚ますとヒマラヤの山々がホテルの私達の部屋の窓の目の前です。
もうこの景色ともお別れ。今日は又国内便で首都カトマンズへ。
カトマンズの有名なスワヤンプナートや旧王宮、ダルバール広場は露天商、物を運ぶ人、物売り、単車と新旧入り乱れて人間のるつぼです。うっかりしていられません。山のトレッキングより気張って歩かないと迷子になります。

スワヤンプナートの有名な最古の寺院ストゥパの横のインド・シカラ様式の仏塔。

仏塔に腰掛けていた美しい人。

お祝いの赤いティカ(植物の粉?)がお寺のあちこちに。

スワヤンプナートよりカトマンズ市街を望む。

ダルバール広場近くは街の中心地。何でも売っている露天商がいたるところに。

こんな人ごみの中のんびりいる牛。
インドと同じ様に牛は神様の使いと思われて食べられないけれど牛乳やヨーグルトは食べるので雌牛は飼われ、雄牛は野良牛になるとかガイドさんに聞きましたが、ゆっくり街中で寝ています。

クマリの館。毎年厳しい選考で選ばれた少女が生神様としてこの館に住みます。
丁度運よく可憐でか細い少女が赤い衣装に身を包んで2階の窓辺に現れました。
(その時は撮影禁止です。)

ダルバール広場付近で荷物を運んで行く人々。
重そうで思わずHiroshiさん「一輪車の手押し車を寄付してあげたいなあ!」

市内観光も終わり、ガイドさんにおいしい紅茶の店へ行きたいとお願いし王宮近くの紅茶専門店へ連れて行って頂きました。
「ネパール・ティーハウス」ここは地元の人達に人気のあるお店です。
ネパールで「イラムティー」と書かれた紅茶は「ダージリン」と言っているものです。エベレストの麓ではインド側、ネパール側とお茶の栽培が盛んです。
その中でも2500mを越す高地で取れたお茶は茶葉を小さく粉砕していない高級品とのこと、ここのお店で最高級のホワイトティーを思い切って買いました。
(帰って頂いた感想:黄味の香り高い少し渋みのある上品な味でした。)
 
最後の夜は民族舞踊ショーを観ながらのネパール料理です。
古い貴族の館を修復したレストランは落ち着いた雰囲気です。
玄関で額に赤いティカ(祝いの印)をつけてもらい絨毯敷きの部屋へ。
日本の様にお座布団に座ります。
木彫りの素朴な民族楽器のサーランギの演奏でお出迎えしてくれます。
まずお酒を注いで。高い所から杯に命中してこぼしません!

真鍮のお盆の様なお皿に次々とサービスして下さいます。
他の食器も真鍮で何だか仏様になってしまった様な気分です。
 
地方色豊かな民族舞踊。
いよいよ夢から醒めて深夜の空港から日本への飛行機に乗ります。
天上の神々しいヒマラヤの峰々の世界と地上の新旧取り混ぜた人間の世界を目まぐるしく往復したこの1週間の旅でした。
単純に山が観たいと出向いた旅でしたが、貧しいが素朴な人々の暮らしは心にジーンと来て何かを考えなくてはいけない気にさせられた旅になりました。

旅行から帰って12月8日ヒマラヤ奥地の画家「テンジン・ヌルブ」絵画展へ行きました。

テンジン・ヌルブ展の案内書より

テンジン・ヌルブ様の紹介の文

倉庫を改造した展覧会場でヌルブ様のお話が聴けました。
その後映画「ヒマラヤ」上映がありヌルブ様の居られる村(カトマンズから5000m級の山々を越え10日以上歩かないと行けない所)がモデルの映画に心を打たれました。

ヒマラヤの後遺症はまだまだ続いて今頃本も買っています。Kyoko