[デザイン]NHK朝の連続小説「カーネーション」と重ねて。

NHK「カーネーション」の一こま

秋晴れの26日 Hassel Houseに珍しいお客様が集いました。
なんと私の小学校時代のクラスメート7人です。どうしても宝塚歌劇を観たいと遠路はるばる宝塚まで来られたのです。
みんなそれぞれの人生を歩んで来ましたがお話するといっぺんに昔の顔に戻りました。
秋の陽だまりの中の愉しいひと時は又忘れがたい思い出になることでしょう。
皆様を迎えるために飾った四葉のクローバーの鉢植え。
学校の校庭で幸せになれると探した四葉のクローバー。まだ宝塚歌劇に憧れる乙女心を失っていません!

NHK朝の連続小説「カーネーション」に重ねて。
お店のお客様とのお話でまず私に近い年代の方々は子供の頃の洋服は殆んど手作りでシンガーミシンは多くの家庭にあったので思い出深いと話して下さいます。
私も若き母がミシンに向かう姿を思い出しつつ、、、
母が結婚したのが昭和8年頃(1934年)丁度ドラマで今進行中と同じ年代です。
母はミシンで洋裁をすることに憧れていて無理を言ってミシンを買って貰ったそうです。当時は余程高価な物だったのでしょう!
ドラマの中でお父さんが買ってきたミシンとほぼ同じ型でした。
母は一生家庭の主婦でしたがこの一台のミシンがどれ程家族の暮らしに役立ったでしょう!
それから日本が戦争に負けてすべての物に不自由したときも魔法のように色々な物が生み出されました。
私は母の手元を見つめつつ出来る事をお手伝いしたのです。
母の洋裁の先生はミシンを買った時ついていた分厚い洋裁読本でした。
昭和8年頃。
洋服は急激に浸透していったのでしょう。後列向かって右より2人目が父です。父方の親類の人たちと。
昭和17年夏。
数え5歳の私と姉妹といとこ達と。前列右端が私です。変わっていませんね!
この日いとこ達が岡山から遊びにきてくれたので写真屋さんを呼び記念撮影をしました。
出来上がったばかりのワンピースでおすましをして写真におさまりました。
その後が大変!戦争も身近に迫ってきて市役所が「防火用水」として2m×2m位のコンクリート製の水槽をお隣との間に設置したのです。その夕方ペンキで「防火用水」と書いたのを知らず其処へもたれてしまったのです。
真っ新の洋服が真っ黒いペンキだらけになりました。このふじ絹のピンクの花模様の洋服はこの時一度だけの晴れの日。悔しく悲しい思いをしたことが忘れられません。
我が家もテレビと同じ様に3姉妹。(あっ!テレビでは4姉妹でした!)後に弟が生まれましたが、、、
毎朝朝食に合わせてテレビを見るのが楽しみです。
きっとこんごは洋服の草分けとして飛躍して行かれるのしょうが、それも楽しみにしています。
先日Hassel Houseのお隣で手つくり品のバザーがありました。若いお母様方が集まり細々とした愛情溢れるものを作っていられる様子にほっとします。
ついでにリフォームを1点紹介致します。
ショルダーバッグ→斜め掛けバッグに
うまくゆきました!
旅先で買ってもらったバッグですがなで肩の私が持つとひもが肩からずりおちてしまいます。色と形はお気に入りですがついにお蔵入りして20年も眠っていました。何とか使えないかと工夫して絵を描き靴とカバンのリフォーム屋さんにお願いしてみました。
うまく使いやすくなりました。お店の人もこんなリフォームは初めてと言われましたので紹介致します。Kyoko