思い出のシベリア・バイカル湖への旅

船長の娘とバイカルにて

 木曜日、晴天、梅雨の合間の眩しい光の中、Hasselは只今ペンキで仕上げ中です。
留守番役の私は暇なのです。それで5年前の6月旅したシベリア旅行の思い出を手繰ることに致します。

シベリア「バイカル湖」への旅
2004年6月11日夕方関空発のウラジオストク航空にて空路約2時間、ウラジオストクへ。あっという間に近くて遠い国に到着、楽々の外国旅行の始まりです。

街も人々も活気に溢れています。
でも何だか外国へ来た気がしません。
そうです!日本語で書かれた車が行き交っているからだと気が付きました。
下取りしてもらったうちの車もこんな異国で未だ頑張って居るかも知れません。


ウラジオストクでの2日間はロシア正教会、博物館、グム百貨店、イグナートマーケット等々回りました。美しい金閣湾を見下ろしてつくづく感慨に耽るHisoshiさん。軍港で近づけない場所だったと昔の事を話してくれました。湾の中には様々な軍艦が停泊しています。

こうして観光出来る平和な時が続きます様に。

潜水艦博物館前の広場にて
貸し馬に乗ってご機嫌のHiroshiさん


野菜、魚と食べ物は豊富で新鮮でおいしい!
子供達が素直でお行儀がいい。デザートも色々。ウラジオストクのレストランにて
3日目夕方いよいよシベリア鉄道ハバロフスク



シベリア鉄道の1部ウラジオストクハバロフスク間のオケアン号と私達が乗った部屋
(2段ベットの4人部屋を2人で使用)


シベリアの大地の朝
朝早くハバロフスク着。アムール川沿いの緑とロシアンブルーの屋根が目立つ美しく清潔な町です。道行く人々も背が高く色白、美人ばかり、みんなファッションモデルになれそうです。
2001年に建ったムラヴィョフ・アムールスキー通りのウスベンスキー教会この前の広場からはゆったりと流れるアムール川が見晴らせます。
気温も寒くもなく暑くもなく爽やか快適です。


アムール川沿いのホテルからの眺め
材木を運ぶ長い筏がゆっくりと行きます。

ホテルでの夜はコサックの踊り、懐かしく馴染みのあるロシア民謡に思わず手拍子を打ちます。


ハバロフスク郊外の木造の家
古い家の佇まい、絵になる風景!

教会前で牧師様とお話中のご婦人、後ろで三つ編みにした髪、長い衣の牧師様、まるで映画の1シーンの様です。

郊外のダーチャ(菜園付木造小屋)等市民の暮らしを見せて頂いた後は一寸したピクニックで村の人達が手作りピロシキと串焼きのバーベキューでもてなして下さいました。一生懸命のもてなしに心がしびれます!

 
旅も早6日目午前空路イルクーツクへ。
 まず忘れてならないのはシベリア抑留中亡くなられた方々の墓参です。

草に埋もれたお墓、名前の読めるお墓もあります。バイカル湖を見て日本海だと喜んだとか言うお話が頭を過ぎります。合掌
シベリア椴松の森が何処までも続く風景をみつつバイカル湖畔へ

バイカル湖畔のリストビャンカ村へ

この150年前に建った木造の教会の前で1人の少女に出逢いました。
少女は恥ずかしそうに1輪の野の花を差し出しました。8歳〜10歳位でしょうか。
笑顔で差し出す花は彼女の歓迎の気持ち、そして未知の国への憧れの様にも思えました。Hassel Houseの2階にたて掛けてある少女の絵はこの時の印象を基に描きました。

 さていよいよバイカル湖です。

世界遺産、広さは琵琶湖の約50倍透明度世界1〜2位と言われるバイカル湖
水際まで降りてみました。水底の石もきらきらと見えました。

6月春と夏を一緒に迎えたバイカル湖畔は野の花で覆われています。

イカルホテルでの夕食[バイカル湖名物の魚オームリー]

イカルホテルの私達の部屋
古くて質素ですがバストイレもありシーツやタオルも清潔でした。
部分的に改装工事を進めているようでした。5年後の今は様変わりしているかも分かりませんね。

バイカル湖畔で出逢った結婚式

コサック村の教会(シベリア木造建築博物館)

コサックの昔の暮らし

コサック村で又乗馬!

バイカル湖畔の村、遊覧船より

遠くは遥か霞んで

バイカル湖の夕暮れ(ホテルのテラスより)
2日間過ごしたバイカル湖ともお別れです。
シベリアのパリと呼ばれる「イルクーツク」へ。

アンカラ川沿いの公園でゆっくり時を過ごす人々

キーロフ広場の永遠の火を守る高校生

キーロフ広場を行進する高校生(これに選ばれる高校生は成績優秀でとても誇りになるそうです。)
イルクーツクの建物(その他の街でも)はシベリア抑留の日本人が建てたものが多くあります。

修復中の建物の上からたどたどしい日本語で「貴方は日本人?」と呼びかける声に慌てて見上げると「私の父さん日本人!」と大きな声が返ってくる。戦争の歴史がこうして今も続いていると胸に言葉がつかえていると「さよなら!」と明るく手を振る。
どうかお幸せに!

いよいよロシアの旅も終わり深夜イルクーツク発翌日昼過ぎ関西国際空港へ帰って来たのです。
20年程前にモスクワ〜レニングラード(サンクトペテルスブルグ改名前)〜北欧へと旅した頃と又違った印象深い旅になりました。

見知らぬ人に野の花1輪
[バイカルの少女]F100号油彩  Kyoko